2016年03月07日

第68回 卒業式に参加して

 先週の週末の土曜日(5日)に、工芸高校の卒業式が執り行われました。
 221名が卒業し、新たに大阪工芸会の会員となられました。
 おめでとうございます。
 進学、就職と卒業生の前には取りあえずのレールは敷かれてはいますが、
必ずしもそのレールの先に彼ら、彼女らのゴールがあるわけではありません。
これからさらに多くのことを学び、そして悩んでいくことでしょう。
これから先、諸先輩達と関わりを持つことがあるかと思いますが、先輩として後輩に自分の持てる力を最大限に発揮して頂き、後輩達をよろしくご指導下さるようにお願い申し上げます。
 さて、卒業式には、ご来賓として昨年退職された近藤校長をはじめ、秋山校長に吉村校長がご出席されました。
控室での話題はやはり朝刊に載っていた公立高校の出願状況です。
府立・市立共に工業系の高校は全て定員割れの状況です。
府立の2高の大学進学コースのみ、なんとか定員を満足してはいましたが、今後の統廃合の現実がより近づいたように感じました。
 工芸高校は既に合格発表を終えております。今回は新しい試験方法のために、定員割れこそありませんでしたが、逆に今後が心配です。必ずしも全員が第1希望に入れたとは限らないので、授業を進める段階での進路変更があるかもわかりません。

 今回卒業して始めて現在の卒業式に参加させて頂きましたが、私の時代(昭和50年代はじめ)と随分変わったと感じました。
もちろん私の卒業式当時は、制服がなく私服の時代で、学生運動華やかりし頃に比べて随分と廃れてはいましたが、まだ学生の自治が今以上に自由だったのでしょうか、式典の企画・構成に、まだ学生が係わっていたように記憶します。
 当時は私服だったこともあり、卒業式はそれはそれは華やかな式典でした。
 私が1年生の時に始めて参加した卒業式は、卒業生一人一人がスポットライトを浴びての入場です。みなさんこの日の為におもっいきりおしゃれして登場です。当時の卒業生にはミス・ユニバース近畿地区代表の村上美和子さん(歌手の麻倉未稀さんのおねいさん)がおられましたが、彼女に負けまいとみなさん目立ってましたよ!
男子は男子で、次の年だっか沢田研二さんの「勝手にしやがれ」なみに、クリーム色のスリーピースで、歌いながらじゃないけど帽子を投げるパフォーマンスがあったように覚えてます。この時代は現在俳優の時任三郎さんが卒業生としておられましたね。
なかにはあまりにも派手過ぎて、卒業式に出るなと言われた生徒もいました。
あれは私の一期後だったような!
若くして亡くなられた漫画家の多田かおるさんのクラスだったかな、
その後制服になってしまったので、最後に張り切ったのかな(笑)

 今の卒業式は全員が舞台の方向を見る配置ですが、我々の頃は、卒業生と在校生が対面式で配置されていました。
なので、卒業生が別れの言葉を言うのに、演台に登って校長先生に向かって言うのに違和感を感じました。
当時は別れの言葉と言わずに「答辞」て言ってたと思いますが、答辞は各クラス毎に行います。
答辞を述べる者は、卒業生の前にでて、在校生・保護者に先生方に向かって言葉を述べますが、中には歌を歌う事もありました。
現在は卒業生全員で別れの歌を歌い、在校生全員が送る歌を歌うといった式典です。
我々はクラス毎に行うので、必ずしも歌があるとは限らないし、場合によっては同じ歌になることもありました。
 しかし、答辞は後輩達の顔をみて、また先生方の顔を見ながら言葉を述べますので、中にはうなずく後輩や先生達もおられて事を思い出しました。
その為逆に感極まって、逆にしゃべられないかな?
 卒業生を送る言葉は「送辞」て言ったかな、今の子の送辞も答辞も出来すぎで
我々の頃は笑いも取らないといけなかったから、大変でした!
我々の頃の方が子供過ぎたのか、現代の子達の方が大人なのか?
そんなことを思った今回の卒業式でした。

大阪工芸会 濱田義之 1978年建築科卒
posted by 大阪工芸会メンバー at 12:08| Comment(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: